前編からの続きです。

11. イエローキャブのアップグレード

ニューヨークの街を象徴するひとつ、イエローキャブ(黄色いタクシー)。タクシーも今ではUberのようにアプリで呼び、アプリで自動的に支払いが済ませるなど便利になりましたが、これも20年のあいだに大きく変化しました。ニューヨーカーが手をあげてタクシーを停めるシーンは多くの映画で見られますが、手をあげる人も以前に比べたら少なくなりました。現在イエローキャブ内に必ずついているスクリーンが設置されたのは2008年。それまでは現金支払いのみだったので、チップに渡すちょうどいいお札がなくて両替してもらったり、料金にチップを上乗せした上で戻して欲しいおつりを予め伝えたりなど、今考えると面倒なやりとりが当たり前でした。

当時は初乗り料金が$2.00で、タクシーは日本よりとにかく安い!と日本人なら誰もが思っていましたが、20年後の今では、ラッシュアワーにマンハッタンから乗ると初乗りが$6.80と、3倍以上。他の物価と相当した料金になりました。

12. 上限の知らない家賃

家賃の高さで有名なニューヨーク。この記事によると、2000年の時点でマンハッタンの平均家賃が$2,984(約32万円)と、既に高い印象ですが、このリポートによると、今年4月の平均家賃は$4,503(約48万円)。その後5月6月は、コロナの影響で少し下がりましたが、大幅に下落することはないそう。

13. 進む均一化

Mom-and-pop stores、つまり家族経営の小さな店はどんどん減り、特にマンハッタンではあまり見かけなくなってしまいました。消費者の購買習慣の変化や大手EC事業の繁栄はもちろんのこと、不動産賃料の高騰により、閉店や移転を余儀なくされています。空き店舗面積も過去10年で約2倍と上昇しましたが、新型コロナによってその動きに拍車がかかるのは必至。大手チェーン店や有名ブランドショップしか残ることができず、ユニークな店が減ってしまいました。

14. 変身したブルックリン

90年代後半ごろから、高騰するマンハッタンの家賃が支払えなくなったアーティストやヒップスターたちが移り始めた先が、ブルックリンのウィリアムズバーグ。2000年ごろには既にお洒落なカフェやショップなどが並んでいましたが、それでもブルックリンが、現在のような世界的なブランド価値として確立しようとは、20年前には思いもしませんでした。

ちなみにブルックリン出身のGiorgioは、高校卒業後にマンハッタンに移り、その後「I never looked back(一度も振り返らなかった」と話すほど、ブルックリンに対して負の気持ちを持っていましたが、昔のブルックリンを知っている人ほど、現在の生まれ変わった様子に驚きを隠せないようです。

15. ハリケーン・サンディ

9/11のテロはニューヨークを大きく変えましたが、規模は違ってもやはり大きな影響を与えたのは、2012年のハリケーン・サンディ。ハリケーンの影響を受けるのはカリブ海やアメリカ南部、という現代の認識を覆しました。被害総額6兆円を超える被害をもたらし、浸水想定地図が更新された結果、不動産の動きにも大きな影響を与え、建物の浸水対策仕様への改修や保険料の上昇は貧富の差を広げました。長期の停電によって、ニューヨーカーの災害への対策意識も変わりました。

ちなみに我が家も、サンディによる停電のほか、当時地下の駐車場に停めてあった車が水没するという被害を受けました。停電は特に辛く、この頃すでに寒かったので、毎日薪を背負って階段を上り、暖炉を焚いて暖をとる、という古人のような生活をしていました。

16. サステイナブルな街へ

ニューヨークと持続可能性は縁がないように見えますが、2007年に発表されたPlaNYCという計画をもとに、サステイナブルなニューヨークへ向けて長期的な取り組みが行われています。市の河川品質の改善、サステナブルな交通手段の選択肢の増加、公園スペースの拡張など、多くの項目があります。ここ数年は屋上庭園も増えました。2005年には全米初のグリーンビルディング法が制定され、現在では2000以上ものビルがグリーンビルとして認定されています。

17. 慢性的な渋滞問題

20年前に比べて、確実に渋滞はひどくなっています。さらに近年はUberやLyftなどの配車サービスの普及によって悪化する一方。その対策として、最も渋滞の多いマンハッタン南部に乗り入れる車から「渋滞税」を徴収する全米初の課税が導入される予定となっています。2021年1月ごろからの導入予定でしたが、コロナの影響で1年程度の延期が決定しています。

18. バイク・シティ

サステイナブルな街へ、そして渋滞問題解消へ向けて大きな役目を果たしているのが自転車。20年前は自転車専用レーンはほとんどありませんでしたが、2006年ごろから自転車レーンが徐々に増え、現在はマンハッタン全体を網羅しています。2013年にはバイクシェアプログラムのシティバイクがサービス開始。そしてこのコロナによって自転車利用者が激増し、自転車ショップへの行列や、自転車の入荷待ちなどが相次ぎました。

19. ローラーブレードがドロン

アメリカで90年代に大流行したローラーブレード。ニューヨークも例外ではなく、2000年ごろはまだその名残があり、ローラーブレードで通勤する人もまだ普通にたくさんいました。今では滅多に見かけなくなりましたが、かく言う私も、ニューヨークに来て間もない頃にローラーブレードにのめり込んだひとり。いつまで経っても上達しませんでしたが、ハドソン川沿いをローラーブレードで走ったあの爽快感は忘れられません。

20. 悩むチップ制度

20年前にニューヨークに来たころは、レストランでのチップは15-20%というのが大体の認識だったため、レシートに記載されている8.875%のセールスタックスを2倍=17.75%にするとちょうどその認識範囲の真ん中、かつ計算が簡単ということで、よく使われた計算方法でしたが、現在は基準ラインとして20%がスタンダードとなっています。

また、5年ほど前から広まり始め、今ではごく一般的になったのが、コーヒーショップを含むカウンターサービスのチップ。それまでは、基本的にはテーブルについて食事をするウェイターサービス、またはバーでのドリンクオーダー時だけがチップ制度の対象でした。

時を同じくして始まったのが、チップ廃止制度の動き。NYを代表するレストラン経営者、ダニー・メイヤーが、彼の全てのレストランからチップを廃止すると2015年に発表した際には、これが新しいトレンドになるのかと話題になりました。その後、他のいくつかのレストランが同制度を取り入れましたが、ことごとく失敗に終わり、そのほとんどが元のチップ制に戻っています。シェイクシャックを含むダニー・メイヤーのレストランのほとんどは、引き続き廃止制度を取り入れています。