今週水曜は9月11日。あの日からもう18年が経とうとしています。

2001年、私は愛媛の田舎町の高校を卒業してニューヨークに渡り、着いた2ヶ月後にあのテロが起こりました。

18年も前の記憶となるとあやふやになりそうなものですが、このテロのことだけに関しては、人との会話で「あのとき何してた?」という会話が必ず定期的に出てくるということもあって、私含め当時NYにいた人はかなり鮮明に思い出すことができます。

それでもやはり、時間の経過とともに事件の風化が進んでしまうことは避けられません。今日は、私の9/11体験談、というほどのものではありませんが、忘れないためにも記しておこうと思いました。

なお、画質が低いですが、写真は全て当時私が撮影したものです。

事件を知る

2001年9月11日の朝、私はいつものように目覚まし時計で起きました。午前中から大学のクラスがある日でした。大学には1週間ほど前に入学したばかりで、私もまだ緊張が溶けていません。身支度をしている中、愛媛の両親から電話がかかってきました。珍しい時間帯でした。「ちょっとニュース見てみなさい、すごいことになってるわよ」。そう、この事件について最初に知ったのは、日本からの電話によってでした。

1機目の飛行機がワールドトレードセンターに追突したあとでした。とんでもない事故が起こったと思いました。その直後、ライブ中継で2機目が衝突。目を疑いましたし、もはや事故ではないことくらいは、私でも理解できました。でも私の頭の中は、学校のことでいっぱいでした。今日出す課題のことで溢れていました。事故にしろ、事件にしろ、すぐ近くで明らかに人の命が失われている瞬間に、私は自分のその日の心配事しか考えていなかったのです。

ことの重大さにはまだ完全には気づけていませんでしたが、とりあえず学校に、今日通常通りクラスがあるのかどうか確かめるため電話を入れました。事務の女性に、なんでそんなことわざわざ電話で聞いてくるの?と言わんばかりのトーンで、「クラス?あるに決まってるじゃない。」と無愛想に言われました。飛行機が2機もビルに追突しているのに、やはり学校を閉めるほどのことではないのか、さすがニューヨークだ、とそのとき思ったのを覚えています。

いつものように学校へ

当時私は、ワールドトレードセンター(WTC)から10km以上も離れたアッパーウエストサイドに住んでいたので、外に出てもツインタワーはもちろん見えず、通りの雰囲気もそれほどいつもとの違いを感じることはありませんでした。いつもの駅からいつもの地下鉄に乗り、大学SVAがある23丁目で降りました。23丁目はアパートのエリアから6kmほど南下したあたりなので、WTCにぐっと近づいたことになります。それでもまだ遠いのでビルは見えなかったと思いますが、駅を出ると、明らかに人々が騒然としているのが感じ取れました。

そして校舎まで歩いていき、入り口のところにいつもいるセキュリティのおじさんにいつものように挨拶をしようとしたとき、「こんな日に学校に来るなんて、君はどうかしてるよ!」と言われてしまいました。「え、だってさっき…」と言いかけたその瞬間、朝電話で話した事務の女性は、そのとき事件のことをまだ知らなかったのだと気付きました。そして、これはもしかしたらただ事ではないのかもしれない、と、まだ気持ちは愛媛の高校生のままの私が、じわじわと感じ始めたのでした。

当時は携帯電話でネット検索はまだできなかったので、最新の情報を手に入れる手段がなく、道端でラジオのニュースを流している人のまわりに人が集まっている状態でした。私も聞こうとしましたが、まだ拙い私のリスニング力では詳細を把握することができません。とりあえず家に帰ってテレビニュースでも見ようと思い、先ほど降りた地下鉄の駅に戻りました。

がしかし、すでに地下鉄は止まっていました。家までは歩けば1時間半はかかる距離です。迷った挙句、私は、事件を自分の目で確かめようと思い、WTCの方向へ歩くことにしたのでした。

ワールドトレードセンターへ

学校のあるチェルシーから、ウェストビレッジ、そしてトライベッカのエリアへと進んでいきました。この辺りに来たのは初めてでした。歩いている間、当然サイレンが鳴り止むことはなく、街全体が騒然としていました。街みんなの顔が強張っていました。

トライベッカへの境目であるキャナルストリートを超えたあたりから、より一層騒々しい雰囲気になりました。灰埃で真っ白なパトカーや消防車で溢れていました。さらに数ブロック先のフランクリン通りまで来たところで、立ち入り禁止となっており、それ以上近づくことはできませんでした。ここでは、灰埃に覆われた人々もたくさんにこっちに向かって走ってきていました。

23丁目から向かっている間、ずっと大きな煙は見えていたのですが、ツインタワーがなかなか見えないのを不思議に思いました。立ち入りギリギリのところまできてもまだなおタワーが見えないので、隣にいた人に「煙がすごくてタワーが見えないね」と話したら、「ビルは崩壊したのよ、知らなかったの?」と言われました。

もし崩壊前に近寄っていたら、立入禁止区域がもっと近くて、もしかしたら私自身怪我をしていたかもしれないと思うと、ぞっとしました。

その後

この後の記憶が曖昧で、どのようにして家路についたのか、家に戻ってから何をしたのかなどは思い出すことができません。その後も街を充満していた焼け付くような匂いだけは、忘れたくても忘れられません。

私はニューヨークに来てからまだ2ヶ月で、一日いちにちを乗り切るのが毎日精一杯で、NYの良いところも悪いところも、楽しいところも楽しくないところも、まだ知らないままこの事件が起こりました。テロのときにNYにいましたが、テロ前のNYをほとんど知りません。それでも、事件後はなんとも言えない喪失感がしばらく付きまといました。

NYに渡ってすぐにあんなことがあって、怖くなかったの?日本に戻ろうと思わなかったの?と聞かれることがよくあります。不安ではありましたが、不思議なことに、日本に帰るということは頭をよぎることすらありませんでした。いつ何があるかわからないからこそ、自分の夢に向かって前を向いて精一杯がんばろう。そう強く思ったのでした。