私立校ではなく公立校を選んだ理由

以前、「ニューヨーク 公立と私立小学校の違い」という記事を書きました。アクセスの多い記事の1つで、「参考になった」というご感想も多くいただいており、大変嬉しく思っています。

その記事は、当時3歳だった息子の進学先を決める上で、自分自身の学習としてまとめたものでしたが、その後、息子はあと1年通うかどうか迷ったモンテッソーリのプリスクールを卒業し、今年の9月から公立学校のPre-Kプログラムに通っています。

2年以上通ったモンテッソーリのプリスクールは、本当に素晴らしい学校でした。先生方は非常に熱心で親身で、カリキュラムは非の打ち所がなく、息子も親である私たちもたくさんのことを学びました。息子の集中力や自立心は、この学校なしでは得られなかったと確信しています。「お仕事」の多いモンテッソーリでは、遊びが中心のデイケアに比べると面白くない部分も息子にはあったとは思いますが、先生も根気強く伴走してくださりました。世界地図と各国の旗を組み合わせるだけの「お仕事」に1時間半も一人で黙々と遊んでいたという話を先生から聞いて、モンテッソーリの威力に感嘆したものです。

それでも私たちは、モンテッソーリに残ることは選ばず、そして私立ではなく公立校を選びました。

私もGiorgioも、国や環境は違えど、ごく普通のミドルクラスの家庭で育ちました。そして、彼と私とでは人生で成し遂げたもののスケールがあまりに違いますが、それぞれ自分が信じる道を切り開くために必死に努力をしてきました。

それに比べて、息子は私たちよりも恵まれた環境にいます。それは金銭面的なことも少しはありますが、それよりも文化的なクオリティという意味での豊かな環境です。

文化的に豊かでクオリティの高い暮らしをするということは、ある程度のお金を必要としますが、お金持ちである必要はありません。高価なものやことが、価値の高いものとは限りません。ものやことの価値を正しく見極め、また見極める力をつけるために努力そして投資することが、クオリティの高い暮らしへと繋がります。

そして文化的豊かさはクリエイティビティを刺激します。反対に、お金はクリエイティビティを奪い取ってしまいます。

モンテッソーリ・プリスクールに通っていた生徒たちは、桁違いに裕福な家庭の子がほとんどでした。学校の雰囲気は温かくて大好きでしたが、時々、実社会から分離しているような違和感を覚えたことがありました。ニューヨークは人種や文化的に実に多種多様な人々が集まっている街であるのに、学校には確実に偏りがありました。

当然ですが、裕福な人や白色人種の人が嫌と言っているわけではありません。そのプリスクールの親御さんたちも本当にチャーミングでフレンドリーな方が多く、実際に私も仲良くなった人もいました。つまり個人レベルでどうこう言っているのでなく、問題は偏りです。偏りがあるとどうしてもそれがスタンダードになってしまいます。それが「当たり前」だと勘違いしてもおかしくないような環境に息子を置いておくのは、違うかもしれない、と思ったのでした。

スタンダードがないことがスタンダードなニューヨーク。その縮図のような公立学校で、自由な発想でクリエイティブに成長してほしいと願っているのです。

今の学校に通い始めて約2ヶ月。以前の学校とのあまりの違いに最初はかなり戸惑っていましたが、ようやく少しずつ楽しいと思えるようになってきたようです。正直、正しい選択をしたのかどうかはまだ自信がありませんが、このまま様子を見て、また来年のKindergartenを決める際も慎重に選びたいと思っています。