家事全般をそつなくこなしているとなぜか思われがちなのですが、もちろんそんなことはありません。アメリカの生活が長いせいか、好きじゃないことや苦手なことはあえてしなくていい、と合理的に考えています。整理整頓は好きだけど、掃除は苦手。料理は楽しいけれど、洗濯は嫌い。よって、掃除と洗濯はしていません。

掃除は、クリーニングレディーに週1回来てもらい、洗濯とアイロンがけは、それが好きなGiorgioの担当です。

少なくともニューヨークでは家事の外注はごく一般的で、周りを見ても、全く外注していないという人の方が少数派。性別によらず、また独身者であろうと家庭であろうと関係なく、中でも共働きの家庭であれば何かしらの代行は使っているのが普通です。

掃除のみ、掃除と洗濯のセット、料理と買い出し、整理整頓、庭掃除とガーデニング、窓拭き、雑用、など、その種類はさまざま。家事ではありませんが犬の散歩代行をセットにしたり、またはベビーシッターやナニーで家事をまとめてやってくれる人も少なくありません。

そしてこれらは、決して裕福な家庭だけの特権というわけではありません。普通のミドルクラス層もごく普通に利用するサービスです。

ニューヨークのアパートやコンドミニアムは、ジムやプールなどの充実したアメニティが当たり前になりましたが、この記事によると、2020年の賃貸アパートビルのアメニティで最も人気が高いのが、掃除と洗濯代行サービスなのだそう。

掃除のようなやりたくないことに自分の貴重な時間を使うくらいなら、掃除は専門の人を雇って支払い、そしてその時間は仕事をしてより稼ぐなり、有意義な時間にあてる。こうして経済循環を促していると考えるのが一般的で、非常に合理的です。

共働き夫婦における妻の家事負担が先進国の中で最も大きいと言われている日本ですが、Z世代を中心に、家事は分担するのが当たり前だと思っている男性が多数派になっているのは明るい変化です。それでも結婚相手に求める条件として、家庭的であることや、「男の胃袋をつかめ」という定説があるように料理上手であることを挙げる男性が一定数いるのも事実。ニューヨークではこのような発想を持っている男性はまず聞いたことがありません。

ところで我が家の話に戻りますが、我が家にクリーニングレディーが来てくれるのが週に1回。これを日本の方に話すと、「じゃあ残りの6日間は誰が掃除するの?」と聞かれます。「誰も。1週間分の汚れを落としてもらうよ。」と答えると、ギョッとされます。それもそのはず、ダスキンが2013年に行った「夫のお掃除実態調査」では、日本の主婦の方々のうち半数が「床の掃除機がけは毎日すべき」(47.5%)や「トイレ掃除は毎日すべき」(48.4%)と思っているそう。きれい好きな日本人ならではですが、ちゃんとやらなきゃいけないという見えないプレッシャーもあるのかもしれません。

日本の共働き夫婦における妻の家事負担の大きさとは相反し、日本の家事代行はなかなか普及しません。その理由に、「世間体」という社会的プレッシャー、他人を家に入れることへの抵抗感、家族の不同意、などがあるそう。確かに、周りで家事の外注をしていない人は少数派だと書きましたが、その少数派の中には日本人が多く含まれます。

Buying time promotes happiness」というカナダで行われたリサーチでは、2回の週末にそれぞれ使える40ドルを参加者に渡し、最初の週末は自分の好きなものを購入してもらい、2回目の週末には、家事代行などで自分の時間を増やすために使ってもらったそう。この2つの週末の幸福度を比較したところ、後者の方がはるかに高いことがわかったそうです。

家事分担のことで夫婦喧嘩になったり、せっかくの休みを家事で潰してしまうくらいなら、家事はアウトソースで頼んで、家族で有意義な時間を過ごす方が幸福度が高いのは当然のような気がします。

日本の家事外注が進まないとはいえ、最近はCtoCのマッチングプラットフォームの普及によってじわじわ増えていると聞きます。若い世代の家事代行への抵抗感が低いのも理由の1つでしょう。

家事代行が裕福層だけの特権ではないとは言え、時間をお金で買うことに躊躇するのも当然な心理。家事代行をより普及させるには、女性もきちんと稼ぐことができる社会のシステムが必要です。十分な稼ぎがないから家事や育児を頼めない、そして家事や育児を頼めないから仕事の時間が限られてしまう、という悪循環を生まないために、出産や育児などで仕事のペースダウンや離職を経ることがハンディキャップにならない社会にすることが重要だと思うのです。