以前にも少し触れましたが、私たちHI(NY) designにとって主要クライアントの1つであり、1番長くお付き合いさせていただいているクライアントの1つに、米国コカコーラがあります。
遡ること9年前の2008年、まだHI(NY) designを設立する以前に、私が受けたフリーランスのプロジェクトが最初の仕事でした。グローバル・ライセンシングという部署からの仕事で、その部署では、コカコーラのブランド商品を世界中で販売する際に、それぞれの国の支社や契約会社がきちんとコカコーラのブランド・ガイドラインに沿った商品を生産できるよう、使用できるアートワークを作成し、その使い方をきちんと取り決めるスタイルガイドを作るというのが主な内容でした。
季節ごとや、いろんなテーマに沿ったコレクションが常に新しく生み出されており、その中の1コレクションを担当してほしいという依頼でした。そのコレクションはというと、コカコーラのマスコット的存在であるポーラーベア(白クマ)のイラストを新しく描き下ろして、それを使った商品ラインを作成するというものでした。何せコカコーラとは初めての仕事だったので、緊張気味に手探り状態で始めましたが、最終的には6種類のイラストとそれを使ったパターンを3種、そしてコレクションのロゴを作成。それらを使って、食器類や洋服などの商品約30種類をデザインし、無事納品することができました。
ありがたいことに、そのプロジェクトの出来に非常に満足していただき、その後HI(NY) designを設立した後も、コレクションのデザインはたくさん担当させていただきました。例えばクリスマス商戦に向けたホリデー用のコレクションであったり、2012年のロンドンオリンピックの際には、オリンピック・コレクションも展開しました。
最初のプロジェクトから数年間は、このグローバル・ライセンシングからの仕事がほとんどでしたが、その風向きが少し変わるきっかけになったのが、2014年に依頼のあった、ポスターデザインのプロジェクトでした。
コンツアーボトル(コカコーラの象徴である、コカコーラボトルのこと)の生誕100周年を記念して、世界的なキャンペーンを大々的に行うとのことで、その一環として、コンツアーボトルを使ったポスターを、世界中で活動する100人のアーティストにデザインをしてもらう、というものでした。ConranやOgilvy & Matherなど、大御所事務所が参加する中、確かな情報ではありませんが、インハウス以外で日本人として参加したのは私たちHI(NY) designだけだったように思います。
選ばれた100人のアーティストたちには、コカコーラの昔のポスターのアーカイブを共有し、それらをインスピレーションとしてデザインするというのがルールで、使用していい色はコカコーラの赤と、白&黒の3色のみ。かなり限られた短い期間での案件で、ポスターは複数提出可能とのことでしたが、Ikuと話し合い、1つのデザインを時間をかけて作成しようと決めました。そしてその時間をめいいっぱい使って作成したのがこのポスターです。
アーカイブのポスターにあったモチーフを取り入れて、全体をラインアートでシンメトリーにした、インパクトあるポスターに仕上がりました。すぐにはコカコーラ側の反応がわからなかったのですが、後々、非常に気に入っていただけたことがわかりました。
ポスターといえば、遠くから見てもわかるような、コンセプトが強くてシンプルなものが一般的であるため、このような細かい絵柄は珍しかったようで、確かに他の作品も後から拝見させていただきましたが、かなり他とは違う雰囲気でした。そのためか、100周年記念のメインイベントであった、アトランタのハイ・ミュージアム(何とも私たちには親近感のわく名前です)でのエキシビションに展示するポスターの1つにも選んでいただきました。ちなみに、このオープニングパーティでは、Ikuが赤白黒を使った着物で出席。私も揃ってそうしたかったのですが、当時妊娠中でお腹が大きくなりすぎていたために断念。和装がよく似合うIkuは、たくさんの出席者に写真を求められていました。
さらには、その絵柄を使って商品化されるという話に。モレスキンのノートブックから、Frendsのヘッドフォンを始め、ビーチサンダルやiPhoneケース、バッグなどに展開。そしてそれらがパリのコレットで期間限定発売されることになり、大きなお腹を抱えてプレスイベントにも参加しました。
その後アートブックとなってAssoulineから出版されたり、エキシビションも世界中で行われたそうです。
そしてこのプロジェクトをきっかけに、コカコーラから依頼頂くプロジェクトの種類が一気に変わりました。社内の他の部署の方々にも知ってもらえるきっかけになったのだと思います。そして直接的なきっかけになった新プロジェクトが、とてつもなく大きなプロジェクトだったのです。それについてはまた別の機会に。