前回は、ニューヨークにあるアートスクール、SVAへの願書から入学、そして大学2年のときにデザイナーとして初めて仕事を受けることになったきっかけについて書きました。
その仕事は、タイムズスクエアにあるMTVのウィンドウ・グラフィックのデザイン。ビルは1ブロック全部を占めており、当時はその2階部分がTV撮影スタジオとなっていました。2階全部のウィンドウをグラフィックで覆うのがお決まりとなっており、1年に1度しか入れ替えないので、選ばれたデザインはその1年まさに「MTVの顔」となります。タイムズスクエアには毎日世界中から観光客が集まるので露出も大きく、MTVのフルタイムデザイナーもこぞって参加したがる大事なプロジェクトです。
上の写真が、実際に私がステイシーとデザインしたウィンドウ・グラフィックです。少し分かりづらいですが、写真とイラストを組み合わせたデザインになっています。そしてこのプロジェクトでは、「リアルな若者」の一人として、モデルとしても参加しました。
プロジェクトは最初から最後まで本当に楽しく、規模の大きいプロジェクトのプロセスをこんな早い段階で学べたのはとてもラッキーでした。実際にデザインが、このタイムズスクエアのど真ん中のウィンドウに並んだ時は本当に感慨深く、夢のようだったことを今でもはっきりと覚えています。
そして大学2年目が終わった夏休みは、自然な流れでそのままMTVでインターンをすることになりました。この時に直属の上司になったのが、以前にも書いたディクラ・ポランスキーです。3年生になった頃には、インターンからパートタイム扱いになり、そのまま卒業まで続け、そして卒業後にフルタイムとして雇われることになりました。
ベーシック・グラフィック・デザインは2年生のみのクラスで、3年で取れる授業にはステイシーのクラスがなかったのですが、前回書いた通り、私はステイシーのデザインにも人間性にもすっかり惚れ込んでしまい、どうしてもこのままステイシーにデザインを教わりたい!と思っていた矢先に知ったのが、SVAにあるインデペンデント・スタディというシステム。私のように、気に入った先生がいて、そして先生も許諾すれば、その先生と1年間個人授業をうけることができ、そして1クラス分の単位もきちんともらえるというシステムです。おかげで3年生の1年間も、ステイシーからたくさんのことを学ぶことができました。
そして最終学年では、卒業制作をするメインのクラスをとります。その先生の1人がステイシーだったので、もちろん迷わず彼女を選択。ステイシーのおかげで、私は自身のデザイン方向性がはっきりと決まり、デザインを「考える」力を身につけ、実際に現場で役立つデザインを学び、そして就職を得ました。彼女とはなんでも話し合える仲になり、恋愛の相談にもよくのってもらいました。両親や姉がいる日本から遠く離れたニューヨークでひとり住む私にとって、ステイシーは第二の母や姉のような存在で、彼女も私を娘や妹のように接してくれました。本当に感謝してもしきれない存在です。
彼女とは現在も時々連絡を取り合っていますが、今も本当にチャーミングでおしゃれで格好良くて、憧れの存在です。
SVAの話に戻りますが、アメリカの大学は、日本の大学とは逆で、入るのは簡単だけれど卒業するのは大変、とよく言われます。もちろん全ての大学がそうではありませんが、SVAに関して言えば、それに当てはまると思います。大学生活は、本当に本当に大変でした。何しろ課題の量が恐ろしく多く、徹夜は日常茶飯事でした。よくクラスメートと、徹夜するためにより効き目のあるエナジードリンクはどれか、などの話をしていたほどです。遊ぶ時間なんてほとんどなかったので、学生時代の思い出といえば、課題に追われていたことがほとんどです…
他に印象的だったクラスに、サラ・ロットマンのクラスがあります。CDデザインのクラスでした。現在はCDデザインのクラスなんてもうないかもしれませんが、当時はまだ、CDジャケットデザインといえばグラフィックデザイナーが憧れる仕事の1つでした。元々レコード会社のクリエイティブ・ディレクターだったサラは、当時確か自分のデザイン会社を立ち上げたばかりでしたが、今では100人以上のスタッフを抱える大きなエージェンシーに成長させています。日本でも大人気のトリー・バーチの有名なロゴマークをデザインしたのも彼女です。
サラも本当にパワフルな女性で、彼女の厳しいクラスでは一体何人の生徒が泣いたことか…本当に怖かったです(笑)。彼女からもフリーランスのプロジェクトを頼まれて学生時代に仕事をしたことがありますが、悔しいくらいに彼女の批評は的確。グサグサ心に刺さりますが、実際社会に出るとそんなことは当たり前なので、彼女のおかげで強い心を作ることができて本当に感謝しています。
とにかく大変でしたが本当に充実した4年間でした。もしSVAに行っていなかったら私は今どこにいるんだろう…と、考え出すときりがないことですが、時々ふと思うのです。