つい先日、NY在住30年以上の日本人の知人から、ハワイへ引越しすることを決めたとの連絡がありました。詳しくは聞いてないのですが、これまでバリバリと働いてきたライフスタイルを捨てて、豊かな自然と共生するという生き方を選択したのだそう。

それを聞いたときに、素直に「羨ましい!」と思いました。それは、ニューヨークを離れることやハワイに移り住むことに対してではなく、自分の心と本能に従って人生の大きな決断をされたことに対してです。長年住み慣れた家や街が居心地がいいのは言うまでもなく、安定した仕事はもちろん、たくさんのご友人達と別れるには、並大抵ではない勇気と決断力が必要だったと容易に想像がつきます。

「老後に住みたいのはニューヨークか、日本か」

ニューヨークに永住している日本人同士の会話で度々出てくるトピックです。

もちろん、アメリカ国内の別の街や他の国など、他にも選択肢はたくさんあります。でもやはり日本人として、自分が生まれ育った、自分のルーツである日本に戻るか、それとも長年住み慣れたニューヨークに残るかの2択でまず考えることが多く、それぞれの良し悪しは枚挙にいとまがありません。

日本人に限らず、「ニューヨークは大好きだけど歳を取ってからは住みたくない」という人は少なくないのですが、私個人的な意見としては、歳を取ってからこそ住んで楽しいのはニューヨークだと思っていて、それは、ニューヨーカーがお年寄りに対して優しいのと同時に、「年寄り扱い」をしないから。アジアの国と違って欧米人は基本的に相手の年齢を気にしないので、そもそも人を年齢で測ることをしませんし、「お年寄りは〇〇だ」とステレオタイプで決めつけてしまうエイジズム(高齢者差別)も圧倒的に少ないと感じます。

先日CNNを見ていたとき、すでにリタイアしている大御所アナウンサーが解説者として久々の出演を果たした際、彼が他の同席アナウンサーたちに対して「日本人みたいに老人の私を優しく扱ってくれよ」と言って、周りの3人が笑う場面がありました。日本人が高齢者を敬う民族であることが一般的に知られているのがわかる会話です。

確かに、海外には母の日や父の日の延長線としてかろうじて祖父母の日がある国もありますが、高齢者全体を敬愛する敬老の日、ましてやそれが国民の祝日として存在するのは世界でも日本くらいです。それでも、年齢を気にしすぎるせいか、「〇〇歳だからこんな格好はだめ」「〇〇歳にもなったらこんな行動はやめるべき」など、自分に対しても他人に対しても固定概念にとらわれてしまうことが多いように見えます。その点を考えると、ニューヨークは幾つになっても自分らしく生き生きと暮らせる環境だと思います。

逆に高齢になってニューヨークに住むことの不安といえば、高い医療費。例えばニューヨークのナーシングホーム(老人ホーム)は、平均の月額料金が約$13,000(140万円)で、これは日本の5〜10倍。もちろん医療費は別で、自己破産になるケースも珍しくありません。

その他、ニューヨークに限らず海外で暮らす人が老後の不安として挙げるのに、認知症による英語の喪失があります。認知症には新しい記憶から失われるという特徴があるため、日本語よりあとに習得した言語を忘れてしまうことが多いからです。

この記事を書くためのリサーチの中で、「邦人・日系人高齢者問題協議会」という機関があることを知りました。在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査を行っており、回答者の平均年齢が66.4歳のその調査結果がとても興味深いのですが、その中の「あなたは幸せですか」という問いに対して、「幸せ」と「やや幸せ」が全体の88%を占めており、こちらまで幸せな気持ちになりました。老後を過ごす場所をアメリカと決めている人が日本よりも多いのと同時に、老後の不安材料としてやはり半数以上の方が高額医療費を挙げています。これが、病気そのものに対する不安より上回っていることからも、高額医療費の深刻さが伝わります。

私自身は、根をびっしりと張っているのでなかなかニューヨークから離れることは今のところ考えられませんが、いつかは他の国にも住んでみたいという願望は少しあります。でも最後までニューヨークにしがみついている自分も想像がつきます。

日本からニューヨークに移ったときは怖いもの知らずでしたが、あの時のような決断力や勇気はずっと持ち続けていたいと思うのです。