写真は2002年に撮ったもの。

今年でニューヨークに住み始めて20年目になりました。変わっていないようで、大きく変化し続けているニューヨーク。良い変化も悪い変化も含めて、20年間を振り返ってみます。

1. 安全になった

殺人事件の犠牲者数が最も多かった1990年に比べると、今から20年前の2000年は既に治安が良くなっており、その年の市内犠牲者数は673人。そして去年は311人だったということで、より安全な街になりました。20年前は、当時クイーンズやブルックリンに住んでいた友人知人が危険な目に遭うことも珍しくありませんでしたが、今ではそう言った話は滅多に聞かなくなりました。

特にテロ以降は、街でパトロールをする警察官が増え、至る所でセキュリティが強化されました。今では当たり前となったオフィスビルでのIDチェックや、美術館等での荷物チェックが始まったのもテロ後です。

2. レトロなメトロ

今ではスマホやスマートウォッチをかざすだけで乗れるようになった地下鉄ですが、20年前は、メトロカードと併せてコイン型のトークンがまだ使用されていました。当時の運賃は$1.50で、私自身一番よく地下鉄を使っていた頃なので、今でも地下鉄といえば$1.50のイメージ。ですが現在は$2.75。

当時は、車内にある停車駅の電子表示や構内にある電光掲示板もなく、車内放送も音が非常に悪かったので、乗り過ごしなどはしょっちゅうでした。

3. 公衆電話の行方

多い時で市内に22,000台設置されていた公衆電話も今では2,600台に減り、代わりに数年前からLinkNYCという無料WiFiスポットが設置されています。残りの公衆電話も近いうちに全て撤去される予定。

電話といえば、20年前はマンハッタンの固定電話のエリアコード(市外局番)は212、マンハッタン以外は718、とはっきり分かれていたので、「212=マンハッタン在住」という、少し箔がついたイメージがありました。またこの頃は携帯のエリアコードは917だけでしたが、この後646や347なども増え、現在は固定・携帯や場所での違いはほとんどなくなりました。

4. 「きれいな街」へ前進

汚いイメージのニューヨークですが、20年前に比べると格段ときれいになり、ゴミも落書きも減りました。コロナで大気汚染が改善されたことが話題になりましたが、長年にわたる市の取り組みによって、年々空気もきれいになっています。異臭も以前に比べると減りましたが、それでも道端に時々溜まっている緑色の液体は信じられないような汚臭を放っています。

5. No Smoking

20年前の時点で、レストランでの喫煙は既に全面禁止でしたが、バーやナイトクラブでの喫煙はまだ許可されていました。夜遊びをした翌日の洋服についたタバコの臭いによくうんざりしたものです。その後2003年にそれらも禁止になり、2011年には公園やビーチ、タイムズスクエアでも禁煙となりました。

6. Sushiだけだった日本食

正確には、当時から居酒屋などもありましたが、あくまでターゲットは日本人を含むアジア人。他の人種の人たちがイメージする日本食は未だ基本的にはSushiだけでした。その後20年間で最も大きな日本食ブームといえばやはりラーメン。今では多種多様なラーメン店が市内に点在しています。抹茶も既にトレンドを通り越して当然のようにコーヒーショップで手に入りますし、最近はほうじ茶(ラテ)でさえも普通に見かけるようになりました。

牛角、一風堂、大戸屋、つるとんたんなど、日本の有名チェーンが進出して成功したり、本格的な天ぷらや焼き鳥専門店ができたりなど、20年でSushi以外の和食の認知度が大きく上がりました。

7. 進化し続けるコーヒー

今では本当に美味しいコーヒーが至る所で手に入るようになりましたが、20年前のニューヨークでコーヒーを買えるところといえば、デリかスタバ。当時通っていた大学のヒッピーな先生が、「私はスタバが嫌い。だってコーヒー1杯が1回の食事分くらいの値段するんだもの!」と言っていたのをなぜか今でもよく覚えていますが、当時デリのコーヒーが$1だったのに比べたら、確かにスタバは高い印象でした。今ではコーヒーショップのラテが$5が当たり前ですから、逆にスタバは安いというイメージで、時代の流れを感じます。

8. ミートをパッキングしていたディストリクト

90年代から開発が始まっていたミートパッキングディストリクトには、既にレストランやブティックがいくつか並んでいましたが、その名の通りまだ20以上ものミートパッカー(食肉卸業者)が営業しており、昔ながらの卸業者と高級ショップが混在していたのがミートパッキングの独特で魅力的な光景でした。

現在は、市が所有するビルの1つに残る卸業者のみとなっており、それも家賃が相場の10分の1以下に抑えられているから残ることができているそう。今では高級ブティックがずらりと並んで常に観光客で賑わっており、昔の面影は残っていません。

9. 消えた娼婦

ジュリアーニ市長時代の90年代に、風俗産業を一掃する取り組みが進められた結果、2000年頃には既にクリーンになりつつありましたが、それでも風俗街として知られたタイムズスクエアはまだまだ治安が悪いという印象で、今とは違う理由で近づきたくないエリアでした。前述のミートパッキングディストリクトでも、この当時は夜になるとお客を待つ娼婦がブロックごとに立っていたのを覚えています。

10. 女性たちを虜にしたセックス・アンド・ザ・シティ

20年前といえば、一世を風靡したドラマ、Sex and the Cityの全盛期。毎週放映日にはニューヨークの街から女性が消えたと言われるほどの社会現象で、街にはキャリーを意識したようなファッションの女性が増え、SATCのようなライフスタイルに憧れて田舎からニューヨークに出てきた女性も多かったのがこの頃。通称「コズモ」のカクテル、コスモポリタンはあまりに流行りすぎたせいで、今では注文をするのが恥ずかしいほどになってしまいました。

当時私はまだ暇なし貧乏学生だったので、自分とはあまりにかけ離れたキャリーたちの暮らしぶりにさほど興味を持てませんでしたが、社会人になってからその面白さに気づき、ご多分にもれず、虜になりました。

後編に続きます。