2008年にHI(NY)を設立して13年ほど経ちますが、創業期から順風満帆に成長を続けてきていると思われることがなぜかよくあります。もちろんそんなことはありません。
「HI(NY)について」でも触れましたが、設立当時は会社としての強みを絞りきれなかったり、適正価格ををつけられなかったりと問題はいろいろありました。その結果、会社の方向性を見失いそうになったり、自信を無くしたりした過去が当然あります。恥ずかしいのであまり大きな声では言えませんが、今日はその大変だった頃について書こうと思います。
会社設立した2008年と言えば、世界的な金融危機リーマンショックが発生した経済大不況の年。一見、起業するのにこれほどタイミングの悪いことは無さそうですが、実は私たちのような小さなデザイン事務所にとってはどちらかというと好機でした。なぜかというと、不況によって大企業が抱える大きなインハウスデザインチームのデザイナーが多く解雇されたからで、それによってプロジェクトベースで外部デザイン事務所への発注が増えたからでした。さすがに不況の影響かブランディングの案件は少ない時期ではありましたが、会社としては忙しい日々が続く順調な滑り出しでした。
苦しくなってきたのは、景気が徐々に回復してきた数年後。それまでは来るものは拒まず、コンスタントにきていた案件をこなすことで日々精一杯で、立ち止まって会社の方向性を見直す機会もありませんでした。案件が減ってきて初めて、強みやビジョンなどが定まってないため会社としての持続性が低いことに気づいてしまったという始末でした。さらには、日々多くの仕事をこなしていたため、Ikuともにいわゆるバーンアウト状態になってしまい、デザイン事務所を続けていくことに不安を覚えたのがこの頃でした。
そこで何を血迷ったか、2人して学び始めたのが、ジュエリーでした。しかも州立大学のクラスを仕事の合間に取るという堅実ぶり。金属を溶かすためのガスバーナーがあまりに怖かったおかげで、血迷っていたことに割と早く気付くことができましたが、そうでなければ2セメスター目も受けていたかもしれません。この時期がHI(NY)の中で最も低迷していた時期で、会社が順調になってからは、HI(NY)の黒歴史として会話のネタによく登場します。
次に始めたのが、カスタムステーショナリーのオンラインショップでした。今ではそのようなショップがたくさんありますが、当時はまだまだ少なく、デザイン性の高いものはほぼ見当たりませんでした。そこに目をつけたのですが、何せ2人でやっていたので、ステーショナリーのデザインからEコマースのデザインと構築、そしてそれ以外の諸々の準備を、通常業務と並行して進めるのは容易ではありませんでした。大変でしたが、これがHI(NY)にとって1つの転機になりました。
オンラインショップは無事に開店。その直後に、当時絶大な影響力を持っていたニュースレター・メディアのDailyCandyに取り上げていただいたことで、信じられない数の注文が入るようになりました。DailyCandyによって露出したことで、TimeOutやReal Simpleなどの大手雑誌への掲載に繋がり、さらには、3大ネットワークの1つであるCBSで当時放送されていた朝のニュース・情報番組The Early Showにも取り上げていただきました。
ショップの露出も売上ももちろんとても嬉しかったですが、それ以上に意味があり嬉しい誤算だったのが、ショップが露出したことでHI(NY)への依頼案件が増えたことでした。
一度は私たちも消耗しかけて目指す方向性を失いそうになりましたが、ステーショナリーショップの運営を経験したことで、私たちがやりたいのは、こちら側のクリエイティビティを一方的に押し付けることではなく、やはりデザインという力でクライアントの課題を解決することだというのがはっきりと見えました。
その後ショップは、HI(NY)の案件が増えたことで物理的に続けることが難しくなり、閉店しました。あのとき、投資家などから資金を集めて人を雇って運営を続けていくという方法もあったのかもな、と後ほど少しだけ後悔しましたが…。それにしても、ショップはHI(NY)を軌道に乗せるための大きなきっかけとなり、それ以上に会社としての方向性を明確にするための力を貸してくれました。
デザイン事務所をこれから始めようと思っている方や、すでに始めたけどうまくいっていない、という経営者の方から相談を受けたことが何度かあるのですが、そのときに必ず話しているのが、このオンラインショップのことです。行き詰まったら、何か他のこと、無駄に終わってしまうかもしれないけれどとにかく行動に起こして何かを始めてみること、といった感じでしょうか。(ジュエリーの件はさておき!)
その後、日本での仕事も増やしていきたいと思い、2016年に日本支社を立ち上げ、京都オフィスをオープンさせました。日本での活動を始めた頃にも大きな挫折を味わっており、それについては、著書『ニューヨークのアートディレクターがいま、日本のビジネスリーダーに伝えたいこと』で書かせていただきました。
実は日本支社を立ち上げるよりも数年前に、一度日本での活動展開を試みたことがありました。当時は日本でのコネクションがほとんどなかったため、エージェンシーを探して売り込みに行ったことがあります。運よく所属させてもらえることになったのですが、そこからの仕事は1件もないまま契約が終了してしまうという結果に。ニューヨークでそうしてきたのと同じように、日本でもゼロから地道に人脈作りをしていくしかないということを思い知らされたのでした。
日本支社設立後から本の出版まで、そしてその後についてはまたの機会に。